お盆休みの過ごし方~若い僕には明日があった~

8月13日からお盆休みに入る。

お正月休みやゴールデンウィークと並ぶ大型連休であり、夏休みのない会社員には貴重な休みである。

私自身が定年を迎えて、少し休みが取りやすくなったため、お盆をずらして帰省したばかりである。

いよいよ予定のないお盆休みだ。

今年は暦通りの4連休、あらためてお盆休みの過ごし方を考えてみようと思う。

独身時代の連休は、特別なことをするでもなく、実家に帰って毎日毎晩、お酒を飲んだり、漫画を読んで過ごしていた。

仕事を通じて成長しようという意欲はあったが、大型連休を使って自己啓発をしようなどと考えたりしなかった。

当時の私には、時間を湯水のように無駄使いしても、まったく気にならない「若い僕には明日がある」的な楽観があった。

外食ばかりで、ろくに料理もしない一人暮らしの1LDKは、休みに合わせて、大掃除が必要になるほど汚れもしなかった。

平日の夜や週末半日を使って、洗濯とあわせて余裕で回せる程度の家事だった。

結婚して子どももできると、子どもの行事や家事手伝いなど、週末が一週間の中で一番忙しい日に変わっていったし、お盆や正月も、夫婦お互いの実家に交互に帰ったりで、まあ目まぐるしかった。

上の娘が大学に行くために家を出て、下の娘も高校生になると部活や勉強で忙しく、親と一緒に行動することが少なくなる。

私もやりたいことややるべきことが山積みだ。

中小企業診断士の試験勉強や苔テラリウムの制作販売を前にすすめるだけでは十分ではない。

妻が大掃除の予定をたてて張り切っている。

料理担当も何回か回ってくるはずだ。

夫婦二人で楽しむことにも使いたい。

To doリストがどんどん埋まる。

昔は「明日がある」から時間を使わなかった。

今は「残された時間を大切にしよう」と焦るほどでもない。

4日間でどこまでできるか。

休みまでプロジェクトになってしまったようだ。

今夜はお酒も控えめに、妻との作戦会議に臨もうと思う。

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休日にパソコンを開きたくない理由

今日は、「山の日」にもかかわらず、会社に出勤した。

会社の指定休日に加えて、法定の有給休暇5日を取ることを考えると、ならしてみれば2勤1休くらいのペースになる。

休みの多寡という視点では、ホワイト企業の部類にはいるかもしれない。

皆がバラバラと休むよりは、祝日にまとめて有給を取って欲しいという視点からか、年に5日ほど祝日が出勤日に予定されている。

賢い人間はどこにでもいる。

普段なら、私も祝日に有給を持ってくるのだが、先週木曜日に半休、金曜日に有給を取っており、少し仕事に追われての出勤となった。

出勤してみると、会社の思惑通りに人はすくなく、祝日の出勤が病みつきになりそうなくらい、仕事のはかどる一日となった。

祝日の出勤日には、気分良くパソコンを叩くのだが、私用メールの処理であっても休日に家でパソコンに向かうのは気が乗らない。

コロナの時は、テレワークでも大いに仕事がはかどったので、会社に出勤することだけが、オンとオフを切り変えるスイッチというわけでもなさそうだ。

株式投資などの自分の利益になるかもしれない作業であっても休日にパソコンに向かうのは気が向かない作業になってしまう。

わざわざ頭で考えなくても、今日は休息日と無意識に脳が認識して、スイッチをオフに切り替えているのかもしれない。

そして、オフの日は身体を喜ばせてあげたいという信号が飛んでいるのかなと思う。

休日に自由自在に、やる気スイッチがいれられるようであれば、今ごろトリリンガルくらいにはなっている。

とはいえ、目指すことにした中小企業診断士の次の試験まで、ちょうど1年。学習癖をつけていかなければいけない。

夜は、寝っ転がってYouTubeの聞き流し学習、早朝は少し気力がわいているのでAIと一緒に座学など、ハイテクも駆使してやってみる。

過去の経験では、よく言えば習慣作り、悪く言えば惰性で、いろんなことを乗り越えてきた。

やる気スイッチの押し方を探しながら、ひとつひとつチャレンジを始めてみよう。

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中華料理の思い出

横浜へ帰省したついでに、横浜中華街に寄った。

子どもの頃は、みなとみらいも線もまだなく、赤レンガ倉庫も今のような観光スポットではなかった。

横浜に出る時は中華街を目当てにすることが多かった。

台湾で勤務していた祖父母が懐かしむので、年末には、赤鶏の燻製など中華の食材を購入するために行っていた。

私も中国に駐在していたので、赤と緑と金色のぴかぴかした建物を久しぶりに見て、懐かしく感じた。

中国では、もてなす側のマナーとして、食べきれずに残すくらいの料理を提供する必要があり、もてなされる側もマナーをわきまえた立ち居振る舞いが求められる。

中国が貧しかった当時は、残した食事を従業員の賄いにするということもあったようだ。

駐在当初は、出されたものは残さないのがマナーと思って無理に食べていたが、のちに非常識な振る舞いと知って赤面したものだ。

駐在中の経験では、安くて美味しいものは、駐在経験の長い日本人よりも、やはり現地の人がよく知っていた。

駐在していた当時は、1ドル80円の時代で、上海の最低賃金も月960元(1元13円)で、とにかく物価が安かったものの、干しアワビや干しナマコといった乾貨で、手の出にくい高価な食材もあった。

干しアワビをメインにした料理は手が出なくても、乾貨で出汁を取った湯(スープ)を使った料理を堪能することで、高級食材のお裾分けにあずかることができた。

現地の人は、お得な料理を良く知っていた。

今回の中華街では、東坡肉、北京ダック、海老シューマイなどを含む、四千数百円のコースをいただいた。

当時、中国で食べていた時とは価格帯がだいぶ異なるが、懐かしい思い出をよみがえらせるという意味では高い買い物ではなかった。

60歳を過ぎてくると、思い出消費に財布の紐が緩む。

それも悪くないと思う一日だった。

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久しぶりのお墓参りは、最強習慣

8月7~8日、久しぶりに横浜へ里帰りした。


今回の目的は、母に会うこと。

そして、もう一つは久しぶりのお墓参りだった。

祖父が亡くなったのを機に、九品仏浄真寺に墓を建てた。

現在は、石畳を敷き詰めた歩道以外は侵入禁止になっていて眺めるだけだが、あの頃は自由に走り回れて、ぎんなんの季節には、袋をもって拾っていた。

侵入禁止になって残念ではあるが、その分、庭がきれいに作り込まれて、歩いていると気持ちがいい。

真夏であっても、木の多い場所は涼しくてよい。本堂に付属する事務所で、線香とお花を購入して、森林浴気分で、お墓に向かう。

お墓につくと、草むしりをして地面を掃く。

墓石に水をかけて名字を浮かび上がらせる。

花と線香を手向けて、手を合わせて拝む。

思い出をひもといたり、近況を報告したり、次のチャレンジへの応援をお願いする。

一心に墓をきれいにする作業や対話を通じて心を整える。

改めて思うと、お墓参りというのは、森林浴、マインドフルネス、ジャーナリングがセットになった最強習慣の一つかもしれない。

菩提寺ではそんな気持ちになるが、見知らぬお墓だとあまり近づく気にならないのも不思議なものである。

生きているときでも、他人の家に勝手に入らない。そんな礼儀やルールを死んだ後も、自然に自分に適用して、決まり悪くなっているのだろうか?

そんなことも思いつつ、母の待つ実家へ向かう。

またお墓参りにこよう。

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12年目のICOCAが教えてくれたこと

ICOCAを定期券として利用している。

期限切れが近づいたので定期券を継続更新した。

会社の規程により、3ヶ月間の通勤定期である。

海外から日本に戻ったタイミングで購入したので、気づけば、カード購入から12年が経っていた。

定期券としても利用するようになって、11年間が過ぎたことになる。

年4回、これまでに44回ほど継続更新したことになる。

表面の印字層が削れたのか、利用区間も有効期間もほとんど読めなくなってしまった。

不便を感じるようになったので、券売所で定期への再印字をお願いしたが、駅で上書き印字してもらっても綺麗に写らなかった。

そこでカード自体を無償交換(障害再発行)してもらうことにした。

再発行したICOCAは、通勤区間も有効期間もくっきりと鮮明に印字されて、いい感じだ。

このまま65歳直前まで、電車通勤を続けるとすると、あと4年間と半年、17回ほど継続更新することになる。

電車通勤を続ける間に、次の上書き印字や障害再発行の機会は来るのだろうか?

ICOCA(ICカード)は、摩耗すれば新品に交換できる。

身体はそうはいかない。

だからこそ、親からもらった身体を、日々手入れしながら、大切に使っていきたい。

ICOCAが再び摩耗する時も、元気に電車に乗り込んで、あちこち飛び回っていたい。

そんな未来を思い描きながら、明日、新しいICOCAを使って会社に向かおうと思う。

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学習脳とブログ脳

最近、中小企業診断士の勉強を始めた。

通勤時や昼休みに問題集を開き、入浴時には、中小企業診断士試験勉強法について語る無料のYouTubeを聞いたりしている。

いくつになっても学ぶことは楽しいのだが、日々のルーティーンに対する、ちょっとした影響を感じている。

ほぼ毎日投稿している、ブログのネタが出にくくなってきたように思うのだ。

学習は、既存の体系(知識・定義・枠組み)をインプットする作業であるのに対して、ブログは、自分の体験や感情、視点を言語化してアウトプットする作業である。

脳みそがインプットに熱心になり、アウトプットを休憩している感じだ。

日常の些細なことへの気付きや感謝への反射神経が少しにぶくなっているのかもしれない。

ぼーっとしていたすきま時間に教科書を開くようになり、ブログネタになるひらめきを得る余白が減っているのかもしれない。

以前、仕事が忙しい時も同じようなことはあった。

団子のように固まってやってくる仕事をひとつずつほぐすように問題を解決していく。

気が付けば峠を越えていて、あとには少し処理能力の上がった自分がいる。

それがいつものパターンだった。

今日の文章のように、試験勉強とブログを連動させて毎日をこなしていくうちに、インプットとアウトプットの切り替えがうまくなったり、試験勉強で得た新しい知識を、今までの体験に紐づけて文章にすることで、血肉化した知識として、ブログに反映されていくのだろう。

学習脳とブログ脳。

その切り替えが自然にできるようになった時、私は今より少し成長しているのだと思う。

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60歳、学生に戻った一日

8月1日(土)は、忙しく過ごした。

朝から病院へ行って、診察を受けた。

会社の健康診断で中性脂肪やLDLコレステロールが基準値を超えていたため再検査を受けた。

結果は「年齢相応で薬は不要」。

健康診断の基準値が厳しいだけとのことで一安心だった。

要再検査の結果で医師の診断を仰いだのに、基準値が厳しすぎるだけと言われると何だかなぁという気はするが、生活習慣を改善するきっかけにしようと誓う。

昼からは、大学時代の友人に誘われて、早逝した友人のお墓参りをするべく、大阪に向かった。

学生気分に浸り、缶ビールを両手に移動した。

お墓参りは、年に1回くらいの頻度で4回目だったと思う。

久しぶりの挨拶をすませると、友人と二人で居酒屋へ行き、早めの乾杯、飲み放題が終わった後は、大学時代の後輩がやっている居酒屋に行った。

後輩は、大学時代の人間関係を色濃く維持しており、懐かしい先輩と電話で話をさせてもらったり、消息を聞いたりして過ごした。

移動で飲み始めてから12時間以上を経過したころに解散して、娘の下宿に泊めてもらった。

近場のCVSで娘を待つ間に、酎ハイを買い足してしまい、顰蹙をかった。

部屋につくと買ったお酒をこぼしてしまい、「もう泊めない」と怒られる。

立場が逆転して、保護者と酔っ払い学生のような構図である。

生活習慣を改善するという、午前中の決意はどこへやら。

大学時代の仲間といると、60歳ではなく20歳の自分に戻ってしまう。

健康的とは言えない一日だったが、年に一回くらいは、そんな自分を許してあげよう。

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朝4時の散歩で考えた「適度な刺激」の大切さ

毎朝4時30分に起床している。

昨日は疲れていたせいか、20時過ぎに眠ってしまったため、3時30分に目が覚めた。

毎朝のルーティーンをこなしても、まだ4:00を過ぎたところだったので、近所に散歩に出た。

うっすらと明るくなってきたくらいだったが、日中の暑さを避けるためか、散歩やランニング中の何人かと途中ですれ違った。

すれ違い様に軽く会釈をする。

夜中1時、2時などの相手と二人きりの真っ暗な夜道では、とたんに警戒心がMaxになる。

進行方向が同じで、後ろから追い抜かれる瞬間などは、総毛立つのを感じる。

同じような静けさであっても、「明け方(朝4時)」と「夜中」では脳の警戒レベルが全く異なるのを感じる。

少しでも光が差し込み始めると、「昼行性動物」としての本能で安心感を覚えるのかもしれない。

朝4時という時間が、「早朝の散歩」「通勤」「ジョギング」など、社会的な「善意・日常」のカテゴリに分類するよう、意識が判断するのかも知れない。

そんなことを考えながら歩いているうちに、輸送中のコンテナ水槽にピラニア一匹いれておくと、他の魚はストレスが良い方向に働き、生存率が高まる「ピラニア効果」という現象を思い出した。

もしかすると夜中に他人とすれ違う緊張感は、健康には良いのかもしれないと思って、家に帰ってから調べると、「ピラニア効果」が間違いだった。

良くできた寓話らしく、天敵に脅かされるような「命の危険を感じるストレス」は、実際は生体にとって破壊的だそうだ。

一方で、刺激ゼロの環境でも、動物は抑うつ状態に陥るらしい。

人も同じなのだろう。適度な運動、新しい景色、人とのあいさつ、小さな発見。

そんな「心地よい刺激」が毎日の活力につながるに違いない。

過剰なストレスも刺激の無さすぎる環境も健康には好ましくない。

結局のところ、「適度な環境変化や刺激が健康には一番いい」ということなのだろう。

「飲んで帰って午前様」よりも「早寝早起き・朝散歩」の方が、今の私には心地よい刺激を与えてくれるようだ。

繰り返しになるが、「ピラニア効果」が都市伝説だとは全く知らなかった。

これからも、朝の散歩で感じた「なぜだろう」を大切にしていきたい。

そんな小さな発見の積み重ねこそ、「早起きは三文の得」の本当の意味なのかもしれない。

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昭和の川崎球場の思い出~コウモリとシピンとホームランボール~

私の勤める職場では、毎朝持ち回りで3分間スピーチを行っている。

職場には、息子さんがプロ野球の育成選手で支配下登録を目指しているというメンバーや、中日ドラゴンズの大ファンで月に1度は、ナゴヤドームに通っているというメンバーもいる。

当然のように、スピーチのテーマがプロ野球に関係するものになることが多い。

先日、私の番が回ってきたので、せっかくだからプロ野球の思い出を一つ披露した。

私が一番頻繁に野球場に通っていたのは、1970年代前半、大洋ホエールズがホームグラウンドにしていた川崎球場である。

祖父の知人が勤めている会社が、バックネット裏のシーズンシートを持っていたのだが、取引先にチケットの貰い手がいないときなどに、よく我が家に回ってきたのだ。

当然、人気の巨人戦に行ったことはなく、広島戦に行くことが多かった記憶がある。

当時は「人気のセ、実力のパ」と言われた時代だった。

今も球団名が残るのは、セ・リーグでは大洋を除く5球団だが、パ・リーグではロッテだけである。

まだ長嶋茂雄が現役で、大洋は、エースの平松や一塁の松原らが主力として活躍していた。

当時は、内野席と外野席が自由に行き来できたので、ホームもビジターも関係なく観客席を楽しんでいた。

子供たちは、靴を放り投げては、ナイターの照明に集まる虫を求めて飛来したコウモリが、靴を虫と誤解して地面すれすれまで飛んでくるのを面白がっていた。

ある時、ポールに近い内野スタンドの端っこで遊んでいたら、ライオン丸というあだ名のシピン選手が、左中間にホームランを打った。

打った瞬間、「これは入るぞ!」と思って駆け出して、見事ホームランボールを入手することが出来た。

すいているにもほどがある、川崎球場だからできた経験である。

朝礼のスピーチでは、この経験をもとに、「後楽園球場というレッドオーシャンでなく、川崎球場というブルーオーシャンで活動していたおかげで、ホームランボールを獲得できた」という話として締めくくった。

球場も球団も姿を変えた。

それでも、コウモリが飛び交い、シピンのホームランを追いかけたあの日の川崎球場だけは、今でも私の中で色あせることなく残っている。

あの自由でおおらかな川崎球場には、昭和という時代そのものが詰まっていたように思う。

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「地震活動期をどう生きるか」~移住検討先の防災マップをみつめながら~

7月28日、熊本県で最大震度七を観測する地震が発生した。

横浜に住んでいた子どもの頃、大震災といえば、関東大震災であり、教科書に載っている存在だった。

せいぜい震度四くらいしか知らない私には、震災は遠い存在だった。

周囲の大人たちも同じで、危機意識も「二度と戦争を起こさない世界にする」に向いていたと思う。

下水道の整備が進んでない当時は、台風による床上浸水のほうが、すぐそこにある天災(危機)であった。

どこか他人事だった大地震を自分ごとに感じ始めたのは、1995年の阪神・淡路大震災くらいからだ。

1994年まで大阪に勤めていて、その後、千葉に転勤になったため、関西の友人・知人も多く、阪神・淡路の影響で、人生が大きく変わった人たちを何人も知っている。

当時、ほとんどの日本人は京阪神で大地震が来るとは思っていなかったと記憶している。

耐震基準の変更など、国の政策も大地震は必ず来ることを前提にして大きく変わっていったような気がする。

実際、日本列島では大地震が相次いでおり、活動が活発な時期に入っているとの見方を示す専門家もいる。

大学を卒業して社会人として働いていると、自分の世界も広くなり、阪神・淡路大震災より後に起こった大きな地震、例えば、新潟県中越地震や東日本大震災、能登半島地震では、いつも安否の気になる人がいた。

東日本大震災や能登半島地震では、被害の大きさに加え、人口減少や高齢化という地域の課題も重なり、集団移転や居住誘導について改めて考えさせられる場面もあった。

海沿いか高台か、居住誘導区域かそれ以外か。中古物件の価格にも、防災への意識が反映される時代になってきている。

防災意識が必須の時代になったのだと思いながら、移住候補先である福津市の防災マップを眺めてみた。海岸線を持つ行政区域であり、やはり津波や洪水に注意の必要なエリアが多い。さらにネットで深堀りすると、観光名所でもある津屋崎千軒は、海から200mくらいの距離にあり、海抜も3~4mであり、大きな地震への備えを考えると、少し心もとない。海岸線から直線距離で2~3km離れると、地震時の避難場所として指定されている高校があり、標高も40mあり、避難場所として一定の安心感がある。土砂災害のハザードなどもあわせて、個々の物件を評価していくことになるのだろう。

60代になって移住先を探すということは、新しい暮らしを探すことだけではない。

大切な人を守れる場所を探すことでもあるのだと改めて感じた。

*今回の大地震で被災された皆様の安全を心よりお祈り申し上げます。

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